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全国各地の青年団の仲間たちによる東日本大震災への支援活動を発信していきます。 http://nisseikyo.iku4.com/
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吉田会長より、岩手、青森、宮城の訪問記が届きました。
長文になりますが、是非ご一読ください。

1 2011年4月11日(月)岩手県訪問
職場から9時30分頃に岩手県に向け出発した。福島県連合青年会の渡辺会長が、同行してくれました。
磐越道、東北道を経由して向かいました。高速道の所々で凸凹があり、震災の爪あとが残っていました。
午後1時半から陸前高田に入り、しばらく車を走らせましたが、海や川に近づくにつれ、道路の両端の風景が一変しました。瓦礫や車が山積みになっており、この世のものとは思えない光景でした。海岸沿いは津波に呑まれましたが、河川は、海水が逆流してきて溢れ、橋や道路を超えて家屋や車を流したとのことでした。地震が発生した午後2時46分から約40分後の午後3時30分前後に第一波の津波が来たことから、被災された方の大半は、やや油断もあったとのことでした。まして川沿いの住人は、まさか河川の水が氾濫するとは考えていなかったようです。

指定された場所に到着すると、岩手県の泉田会長と会うことができました。自宅及び車は何とか無事だったとのことでしたが、職場のガソリンスタンドが流されてしまい、無職になったので今後の生活への不安があるようでした。
しかしながら表向き泉田会長は、消防服に身を包み無料ガソリンを配給し、明るく振舞っていました。ガソリンは整理券の獲得できた人のみが給油できるという ことでしたが、20ℓの制限が設けられていました。泉田会長は地元の消防団の方々と自衛隊と一緒に活動していました。全国青年大会の時期には行きたいと力 強く語ってくれました。
この地で午後2時46分を迎え、サイレンとともに、黙祷を行いました。そしてお見舞金を渡しました。
次に米崎小学校の避難所の責任者の1人である橋詰さんに会いに向かいました。仮設住宅は米崎中学校にいち早く設置されましたが、ここ米崎小学校でも建設中 でした。小学校の後方に見える煙が気になりながら、避難所を訪ねると、橋詰さんは消火活動に向かった直後でした。仕方なく持参した支援物資を責任者の方に お渡しをして、橋詰さんへのメッセージを託しました。責任者の方から、日青協からの支援への感謝の言葉をいただきました。避難所には約140名がおいでに なりました。橋詰君も家が流されたため、この避難所で生活をしています。自家用車は無事でこの避難所の緊急車両の一台として活躍しているそうです。

後で戻ることを約束して大槌町に向かいました。ダウンタウンが海岸のそばなので、町の中心地がほぼ壊滅状態でした。陸前高田よりも瓦礫が高く積まれている ことがとても印象に残りました。役場機能がある城山中央公民館は、高台にあるため無事でした。狭い敷地に自衛隊の車や避難者などで物々しい雰囲気でした。
すぐに佐々木生涯学習課長兼公民館長とお話をすることができました。佐々木さんはこれまでの大槌町の青年団活動や加藤常任を通じて日青協を良く承知しており、すぐに副町長室に案内してくれました。あいにく副町長が不在でしたが、日青協の来訪を必ず伝えるとのことでした。
ここで
1    加藤常任は、3.11当日に役場内にいた。自宅も海岸そばにあり、流されてしまっている。
2 職員130名強の中、32名程度が行方不明であり、このリストの中に加藤常任の名前もあるとのこと。
3   青年団活動などを通じて加藤常任は役場内外の方々から愛されている。日青協から来ていただいてうれしい。
4  今後、日青協にも支援をお願いしたい。
といったお話を伺いました。

ここで余震があり、東北道の通行止めのニュースが流れ、呆然としましたが、何とかなるだろうと思い直しました。
加藤常任の所在は不明のままでしたが、必ずどこかで頑張っていることを信じながら大槌を後にしました。午後6時を回っていました。
そこから再度陸前高田の橋詰さんのところへ向かいました。夜7時半過ぎに会うことができました。夜警の最中に寄ってくれました。震災直後のことや家を流されたことなどを明るく話をして
くれました。この小学校に避難してきた時に、ここの責任者の1人に指名され、日青協への支援物資依頼などを任され大活躍していました。満足にお風呂にも入 れず、火事や夜警などに積極的に行動している姿をみて、目頭が熱くなりました。彼は、青年団のみんなに現場を見てほしいとも言っていましたが、今後とも支 援してほしいとも話をしてくれました。11月の全国青年大会には是非とも行きたいと言い、これからも頑張っていく決意をいただきながら、名残を残しつつ陸 前高田を後にしました。

2 2011年4月16日(土)青森県訪問

4月16日土曜日に青森、八戸市に行ってきました。
成田常任をはじめ、県団の川井会長、花田さんに出迎えていただきました。
もちろん、皆さんお元気でした。川井会長にお見舞金をお渡ししました。
八戸市は漁船などの被害が甚大であり、海岸線道路脇に乗り上げてたり、横転してました。街中にそう大きな変化はありませんでしたが、海岸線沿いは、以前に成田常任に見せていただいた写真の時よりもだいぶ清掃されてました。
hachinohe.jpg





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2 2011年4月17日(日)宮城県訪問

4月17日は、宮城を訪問しました。
伊藤会長、佐久間副会長、岩崎さん、武藤さん(黒川郡の合唱リーダー)とともに、県団役員で今回の震災により自宅と車、職場を流されてしまった芳賀ひろみさんが住んでいる気仙沼市本吉町に向かいました。
岩崎大輔さんと武藤さんは愛車を流されました。武藤さんは、車を購入してから半年しか経っておらず、ローンも残っており、当たり前ですが経済的にも厳しいとのことでした。
宮城の皆さんは、3.11震災以来、お風呂に入れたのが、1~2週間あとだったそうです。お見舞金は伊藤会長にお渡ししました。
なお、次期会長候補者である、佐久間さんは、同行していただきながら、定期大会になんとか6名で参加するよう、あちこちの皆さんに絶えず電話をしていました。

芳賀さんはもちろん元気でした。親戚が所有していた空き家に住まいを移していました。4/7の余震により電気がやっと復旧したものの、水道が復旧してお らず、給水車により、水を確保しているとのことで、お風呂も自衛隊が用意した浴槽で、時間制限付きで入れるのみだそうです。
宮城のメンバーは、事前に支援物資の意向を伺っており、各自そろえて芳賀さんに渡すことができました。
3.11からしばらくは、避難所におられたそうですが、当初食糧は、数人の1個のパンであるとか、お菓子1袋であるとか、とにかく悲惨な食糧事情であったようです。
現在は、親戚の空き家に住んでいるものの、食糧は避難所などからいただいているそうです。
なお、自宅を流されなかった人は、当初は、自宅に食糧のストックがないにもかかわらず、当初は、自宅があるという理由だけで食糧すら渡されず、自宅で何も食べずに過ごした人もおいでになるとのことでした。

また、自宅のあったところにも案内していただきました。そこは、自宅のあった形跡すらなく、よそから流されてきたものが弱冠散乱していました。自宅は海岸のすぐそばですが、自宅前には、JR気仙沼線の線路が横たわっていました。
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次に、同じ本吉町にお住まいの、元日青協副会長の高橋弘則先輩を訪ねました。高橋さんのおくさまは、3.11の翌日にヘリコプターで職場から救出されたそうです。車も流されたそうです。
先輩は立体駐車場4階に車と逃れ、3階までは水がきたそうで、間一髪だったそうです。勤務されている気仙沼信用金庫は12支店中、10支店が壊滅したそうです。なお、4/25月曜日のNHKクローズアップ現代に登場するようです。

先輩宅を後にしまして、今回の震災で甚大な被害にあった南三陸町に向かいました。そこに宮城の全国青年大会出場野球チームの監督の方にもお会い できました。全国青年大会には出場したいが、選手はユニホームがなくなった人、上のない人、下のない人など、揃わないなどの課題もあるとお話をしてくれま した。
南三陸町は、3/11以来、電気が復旧したのが一昨日で、1ヶ月以上電気のない生活だったそうです。水道は未だ復旧しておりません。
海岸に近い区域が全滅でした。

仙台には午後9時半ごろ戻り、自宅には、12時前に帰りました。

改めて現地をみて、私たちに何ができるのか、考えましたが、
逆に、私たちに出来ない支援もある、したくても出来ない支援も
あることを教えらました。
瓦礫の撤去作業などは到底無理で、自衛隊や業者に任せるしかないでしょう。避難所の支援は自治体職員などが行っており、極端に人出がいるという状況にはないようです。

支援活動の基本は、各自ができることをすることでしょう。
例えば、会いに行き、話しをするだけでも立派な支援です。野球仲間が被災していれば、他の仲間に呼びかけ、早く被災者も含めて野球ができる環境を作る、・・・これも立派な支援活動でしょう。
募金活動もそうだし、日頃から節電の取り組む・・・これも支援につながっていると思います。

こうした積み重ねから、日青協という全国組織や道府県団という組織の特徴からすれば、やはり、国や県に必要な要望を伝えていくことが日青協や道府県団の使命であり、支援活動でしょう。
被災地は家がない、お金もない、身分証明書もない、・・・どうするか、・・・国や県は十分な補償をするしか助ける道はありません。車を流出した場合の補償も考慮するべきでしょう。こうした声を国や県に届ける、まずはここからでないでしょうか。

そして、青年団が身体を動かすことでの貢献でいえば、今後、仮設住宅への引越し手伝いや、1人暮らしの高齢者や震災孤児の話し相手、買い物など簡単なヘル パー的な機能などの需用が高まるはずです。引き続き支援物資の要請への対応もそうでしょうし、支援物資の受給のミスマッチを埋める(余剰な支援物資は、不 足している地域に移動させる)ことなどもできるはずです。

私が感じたこと、各自が出来る範囲の中で、まずは日常生活を取り戻すことです。また、各道府県団、各ブロックでも、できること、できないことの議論は必要であると思います。その上で、
1 会いにいける人は会いにいく。支援物資があれば持参する。
2   各自日常生活を早く取り戻しながら、取り戻せない仲間との共同作業や活動の場を整えていく。(スポーツ、文化活動など)
3    日青協は国へ、道府県団は道府県に要望を伝える。経済的弱者への十分な補償を要求する。
4    生活弱者への支援活動、対話など。

また現地の方々の要望などを的確に捉えながら、活動していくことが大切であると思います。

以上、とりとめなくまとめました。今回の被災地訪問は一生忘れることができません。同じ東北人としても今後とも支援活動を続けていきます。
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