全国各地の青年団の仲間たちによる東日本大震災への支援活動を発信していきます。
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2月25~26日に大槌町青年団体連絡協議会主催による「復興の集い」が行われ、東海大学の辻智子先生と日青協から私、尾路が訪問しました。
震災からまもなく1年を迎えるにも関わらず、途中の釜石市で目に飛び込んできたのは、3月11日のままの家屋・瓦礫でした。350日が経っても何も変わらない現実があることに、衝撃を受けました。
当日の大槌は大雪。普段はあまり積もらないこの街に、15~20㎝の雪が積もっていました。到着して真っ先に向ったのは大槌町役場。雪が積もった屋根と壁だけの役場の前で私たちは手を合わせ、未曾有の大震災に立ち向かい、殉職された加藤国雄さんをしばし悼みました。
夜は、大槌町青協5名との懇親会。公民館での懇親会はそこそこに、大槌北小学校前の仮設の商店街へ。ここには「がんばろう大槌 復興感謝祭」と書いてあるのぼり旗がへんぽんと翻っています。2階建ての大きな仮設には、スーパーマーケット・居酒屋・カラオケスナック・ラーメン屋・弁当屋・レンタルDVD店などが軒を連ね、町民の憩いの場となっているのです。私たちは、大槌町青年団団員の石井さん行きつけの居酒屋「みかドン」に入りました。「東京から大槌の青年団を尋ねて来てくれました」と店主へ紹介されると、「こんな遠い大槌までわざわざ来てくれたのだから、地物をたくさん食べていってください」と、食べきれないほどの料理とお酒がたくさん振舞われました。途中、店主も席に加わり、大槌の人の温かさに触れた瞬間でした。
翌26日は、いよいよ「復興の集い」。参加者は町青協5名・岩手県団泉田会長・青年団OB中心の団体「波工房」の三浦代表の計7名でした。
冒頭に、新しい青年団旗と青年団ビブスが披露されました。青年団の象徴である団旗が、今回の津波で流されてしまったのです。また、青年団ビブスは、今後の活動時に団員が着用するとのこと。これらは、全国の仲間たちから寄せられた義援金を活用して作成されました。皆さんから寄せていただいた善意は、このように目に見える形になっています。初披露の団旗とビブスの鮮やかなブルーは、全国の絆と復興への決意を表しているかのようで、とてもまぶしかったです。
次いで、日青協が現在すすめている被災手記の取り組みについて、辻先生からお話がありました。波工房の三浦代表から「この時期に手記を書くのに抵抗がある団員もいましたが、詳しく聞いて趣旨等は理解できました。私たちの愛する後輩である加藤国雄君が在籍した日青協なので、協力できることはしていきたいです」との言葉をいただきました。
また、フリートークでは佐々木訓さんから、今年度団員が10名増えたことが報告されました。次年度の事業は、加藤常任が熱心に取り組んでいた人形劇を中心に、もう一つの事業を検討していくことを確認し、復興の集いを終えました。
終了後、仮設住宅へ赴き、加藤国雄さんのご両親を訪問しました。ご両親は、私たちの訪問を大変喜んでいただきました。話の中心はもちろん国雄さん。いつの東京帰りかは定かではないですが、帰りが遅くなり新花巻駅からの接続電車に間に合わなかった時、国雄さんはどうしても家で寝たかったらしく、駅前にホテルがあるにも関わらず2万円以上かけてタクシーで大槌に帰ってきたとのこと。また、加藤家に団員が集って人形劇の練習をしていたこと、岩手県内の青年団の状況など、話しがつきません。帰りまでの1時間は、あっという間に過ぎていきました。最後はお土産までちょうだいし、しばし加藤さんを偲ぶことができたことに御礼を申し上げ、仮設を後にしました。
未曾有の大震災で、言葉に尽くせぬほどの悲しさや苦しさがあることでしょう。それでも、大槌の仲間たちは、少しずつ前へと歩こうとしています。改めて、復興はこれから、という言葉を、実感を込めてお伝えしたいと思います。長く続く復興への道のりの支援を決意した、今回の集いでした。
(日青協 尾路克彦)
披露された団旗とビブス
終始和やかな雰囲気で
震災からまもなく1年を迎えるにも関わらず、途中の釜石市で目に飛び込んできたのは、3月11日のままの家屋・瓦礫でした。350日が経っても何も変わらない現実があることに、衝撃を受けました。
当日の大槌は大雪。普段はあまり積もらないこの街に、15~20㎝の雪が積もっていました。到着して真っ先に向ったのは大槌町役場。雪が積もった屋根と壁だけの役場の前で私たちは手を合わせ、未曾有の大震災に立ち向かい、殉職された加藤国雄さんをしばし悼みました。
夜は、大槌町青協5名との懇親会。公民館での懇親会はそこそこに、大槌北小学校前の仮設の商店街へ。ここには「がんばろう大槌 復興感謝祭」と書いてあるのぼり旗がへんぽんと翻っています。2階建ての大きな仮設には、スーパーマーケット・居酒屋・カラオケスナック・ラーメン屋・弁当屋・レンタルDVD店などが軒を連ね、町民の憩いの場となっているのです。私たちは、大槌町青年団団員の石井さん行きつけの居酒屋「みかドン」に入りました。「東京から大槌の青年団を尋ねて来てくれました」と店主へ紹介されると、「こんな遠い大槌までわざわざ来てくれたのだから、地物をたくさん食べていってください」と、食べきれないほどの料理とお酒がたくさん振舞われました。途中、店主も席に加わり、大槌の人の温かさに触れた瞬間でした。
翌26日は、いよいよ「復興の集い」。参加者は町青協5名・岩手県団泉田会長・青年団OB中心の団体「波工房」の三浦代表の計7名でした。
冒頭に、新しい青年団旗と青年団ビブスが披露されました。青年団の象徴である団旗が、今回の津波で流されてしまったのです。また、青年団ビブスは、今後の活動時に団員が着用するとのこと。これらは、全国の仲間たちから寄せられた義援金を活用して作成されました。皆さんから寄せていただいた善意は、このように目に見える形になっています。初披露の団旗とビブスの鮮やかなブルーは、全国の絆と復興への決意を表しているかのようで、とてもまぶしかったです。
次いで、日青協が現在すすめている被災手記の取り組みについて、辻先生からお話がありました。波工房の三浦代表から「この時期に手記を書くのに抵抗がある団員もいましたが、詳しく聞いて趣旨等は理解できました。私たちの愛する後輩である加藤国雄君が在籍した日青協なので、協力できることはしていきたいです」との言葉をいただきました。
また、フリートークでは佐々木訓さんから、今年度団員が10名増えたことが報告されました。次年度の事業は、加藤常任が熱心に取り組んでいた人形劇を中心に、もう一つの事業を検討していくことを確認し、復興の集いを終えました。
終了後、仮設住宅へ赴き、加藤国雄さんのご両親を訪問しました。ご両親は、私たちの訪問を大変喜んでいただきました。話の中心はもちろん国雄さん。いつの東京帰りかは定かではないですが、帰りが遅くなり新花巻駅からの接続電車に間に合わなかった時、国雄さんはどうしても家で寝たかったらしく、駅前にホテルがあるにも関わらず2万円以上かけてタクシーで大槌に帰ってきたとのこと。また、加藤家に団員が集って人形劇の練習をしていたこと、岩手県内の青年団の状況など、話しがつきません。帰りまでの1時間は、あっという間に過ぎていきました。最後はお土産までちょうだいし、しばし加藤さんを偲ぶことができたことに御礼を申し上げ、仮設を後にしました。
未曾有の大震災で、言葉に尽くせぬほどの悲しさや苦しさがあることでしょう。それでも、大槌の仲間たちは、少しずつ前へと歩こうとしています。改めて、復興はこれから、という言葉を、実感を込めてお伝えしたいと思います。長く続く復興への道のりの支援を決意した、今回の集いでした。
(日青協 尾路克彦)
披露された団旗とビブス
終始和やかな雰囲気で
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