全国各地の青年団の仲間たちによる東日本大震災への支援活動を発信していきます。
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土日にかけて、岩手県を訪問してまいりました。
18日の合同慰霊祭前に、岩手県団泉田会長他、陸前高田や大槌の仲間たちと加藤さんのご家族にお会いしました。全国の仲間たちを代表して改めてお悔やみを申し上げると共に、メッセージを書いた色紙と加藤さんの写真を集めたアルバムをお渡しいたしました。ご両親からは、「国雄が生前たいへんお世話になりました。これからも青年団活動を頑張って下さい」とのお言葉をちょうだいしたことをご報告いたします。
その後、ご家族の案内で加藤さんのお骨が安置されている大念寺へ。骨壺箱に対面し、ここについ数ヶ月前までともに語りあっていた加藤さんが眠っているのかと思うと、言葉にならない感情がこみ上げましたが、「声をかけてやってください」というご両親の言葉に促され、「お帰りなさい。遺志は私たちが必ず引き継ぎます」の思いと共に手を合わせ、骨壺箱をそっとさわってきました。
◆加藤さんはここでテントを建てていたはず
加藤さんのご両親は、今は花巻の避難所におられるそうですが、あとひと月くらいで仮設住宅に移ってからお骨を引き取るとのこと。それまでは、加藤さんのお骨は大念寺に安置されているようです。なお、大念寺の住所は以下の通りです。訪問される際は、日青協までご一報下さい。
岩手県上閉伊郡大槌町上町1-8
◆時計の針はとまったままの大槌町役場
18日の合同慰霊祭前に、岩手県団泉田会長他、陸前高田や大槌の仲間たちと加藤さんのご家族にお会いしました。全国の仲間たちを代表して改めてお悔やみを申し上げると共に、メッセージを書いた色紙と加藤さんの写真を集めたアルバムをお渡しいたしました。ご両親からは、「国雄が生前たいへんお世話になりました。これからも青年団活動を頑張って下さい」とのお言葉をちょうだいしたことをご報告いたします。
その後、ご家族の案内で加藤さんのお骨が安置されている大念寺へ。骨壺箱に対面し、ここについ数ヶ月前までともに語りあっていた加藤さんが眠っているのかと思うと、言葉にならない感情がこみ上げましたが、「声をかけてやってください」というご両親の言葉に促され、「お帰りなさい。遺志は私たちが必ず引き継ぎます」の思いと共に手を合わせ、骨壺箱をそっとさわってきました。
◆加藤さんはここでテントを建てていたはず
加藤さんのご両親は、今は花巻の避難所におられるそうですが、あとひと月くらいで仮設住宅に移ってからお骨を引き取るとのこと。それまでは、加藤さんのお骨は大念寺に安置されているようです。なお、大念寺の住所は以下の通りです。訪問される際は、日青協までご一報下さい。
岩手県上閉伊郡大槌町上町1-8
◆時計の針はとまったままの大槌町役場
夜からは吉田前会長が合流し、ともに岩手県団の理事会と定期大会にお邪魔いたしました。岩手では、震災を機に沿岸部と内陸部とで連携が強まっており、沿 岸部の子どもたちを内陸で搾乳体験などの自然体験をしてもらうなど、新たな取り組みへの模索が始まっているようです。また、加藤さんの地元・大槌町では、 加藤さんの遺志を引き継ぐ決意の元、今年の全国青年大会に人形劇で出場するとのこと。陸前高田でも長年にわたって行われている青年芸能祭を今年も必ず行 う、という強い決意を聞くことができました。岩手県団は翌19日の昼まで定期大会を行い、甚大な被害に直面する今年度の運動方針を、こうした新たな動きと 共に決定しています。
しかし、沿岸部の被災状況は深刻で、家を流されたり肉親を亡くしたりといった被害だけでなく、仕事がないため泣く泣くふるさとを離れた仲間もいるようで す。陸前高田の橋詰さん自身も、今は北上に移り仕事を探しているとのことでした。そうした被害があっても「一歩ずつ前へ」のスローガンのもと前進しようと していることに、私自身が励まされる思いがしました。
定期大会を終えて、吉田前会長と共に再び大槌町の大念寺に立ち寄ってから、今度は陸前高田市へ。大槌町と同様、すさまじい被害に言葉を失いました。建物 の残骸、ぐしゃぐしゃにになった車、崩落した橋、何かが焼けただれたあと、そしてえも言われぬにおい…。テレビのモニターからは決してつたわらない被災地の様子を目の当たりにし、叫び出しそうな感情に襲われました。こんな状況と隣り合わせの被災地の人たちは、いったいどんな気持ちで生活しているのだろうか、と深く考えさせられました。
被災から3ヶ月以上経過したにも関わらず、「がれき」の撤去はまだ端緒についたばかり。さらには、こうした被害が東北から 関東に至るまで沿岸部は何百キロにわたってずっと広がっているはず。こうした被災地が元どおりになるまで、いったいどれほどの時間が必要なのでしょうか。 私たちが取り組む課題は、本当に大きいと思いました。また、道路や鉄道をはじめ町の復興や何よりも被災地の人たちの衣食住と仕事といった生活基盤そのものの整備に、政治は全力を挙げて取り組まなければなりません。永田町で政争をしている場合かと、強い憤りを感じました。
◆陸前高田市の展望台からパノラマ
◆橋詰さんが働いていたガソリンスタンド
◆線路がめくれている
◆がれきがそこここに散乱している
ひとまず報告は以上です。
日青協は26日から27日にかけて、齋藤緑さんのおられる宮城県山元町にボランティアを派遣します。復興はまだまだこれからです。ともに頑張りましょう。
しかし、沿岸部の被災状況は深刻で、家を流されたり肉親を亡くしたりといった被害だけでなく、仕事がないため泣く泣くふるさとを離れた仲間もいるようで す。陸前高田の橋詰さん自身も、今は北上に移り仕事を探しているとのことでした。そうした被害があっても「一歩ずつ前へ」のスローガンのもと前進しようと していることに、私自身が励まされる思いがしました。
定期大会を終えて、吉田前会長と共に再び大槌町の大念寺に立ち寄ってから、今度は陸前高田市へ。大槌町と同様、すさまじい被害に言葉を失いました。建物 の残骸、ぐしゃぐしゃにになった車、崩落した橋、何かが焼けただれたあと、そしてえも言われぬにおい…。テレビのモニターからは決してつたわらない被災地の様子を目の当たりにし、叫び出しそうな感情に襲われました。こんな状況と隣り合わせの被災地の人たちは、いったいどんな気持ちで生活しているのだろうか、と深く考えさせられました。
被災から3ヶ月以上経過したにも関わらず、「がれき」の撤去はまだ端緒についたばかり。さらには、こうした被害が東北から 関東に至るまで沿岸部は何百キロにわたってずっと広がっているはず。こうした被災地が元どおりになるまで、いったいどれほどの時間が必要なのでしょうか。 私たちが取り組む課題は、本当に大きいと思いました。また、道路や鉄道をはじめ町の復興や何よりも被災地の人たちの衣食住と仕事といった生活基盤そのものの整備に、政治は全力を挙げて取り組まなければなりません。永田町で政争をしている場合かと、強い憤りを感じました。
◆陸前高田市の展望台からパノラマ
◆橋詰さんが働いていたガソリンスタンド
◆線路がめくれている
◆がれきがそこここに散乱している
ひとまず報告は以上です。
日青協は26日から27日にかけて、齋藤緑さんのおられる宮城県山元町にボランティアを派遣します。復興はまだまだこれからです。ともに頑張りましょう。
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